当教室、おすすめの本
幼少期における読書ほどすばらしいものはありません。
すてきな本は心を育む力を持っています。どきどきさせてくれたり、わくわくさせてくれたり、魔法の国や架空の国へ連れて行ってくれたり……。
夢中になってページをめくっているうちに、いつしかあたりがすっかり暗くなっていたというような経験はきっと誰もが一度はおぼえがあることでしょう。
ですが、そんなすてきで実りある本も、ご両親がふだん読む姿を見せていなければお子さんが手に取ることはありません。不思議なもので子どもは親の姿をぜんぶまねるのです。
ご両親が毎日リビングで、書斎で、あるいは寝室で本をひらいていれば、お子さんもいつしか自然と本に親しむようになっていることでしょう。 最近、お母さまは本を読んでいらっしゃいますか?
以下にご紹介する本は、お子様が自分で読むには少しむずかしいですが、現在子育ての真っ最中であるお母さまにぜひ一度お手にとって読んでいただきたい名作です。
『ノンちゃん雲に乗る』 石井 桃子 著
少年少女むけの物語を数多く翻訳された石井桃子さんの作品です。石井さんは昨年おしくも亡くなられましたが、このお話は日本の児童文学の中でもとくに名高い名作です。
物語は小学二年生の女の子、ノンちゃんがあやまって木から地面に落ちて意識を失い、雲の上、いわゆる『むこう側』の世界に足を踏み入れるところから幕を開けます。
もっとも、臨死体験というほど大げさなものではなく、ノンちゃんは雲の世界で神様(?)とおぼしき白いおひげのおじいさんとお話をしたあと、大好きなお母さんの待つ『こちら側』へと戻ってくるのですが、「なんでも話してごらん」いうおじいさんとの問答を通してノンちゃんの口から語られるエピソードには、日々のちょっとした出来事から始まって、お母さんやお父さんら家族の肖像、彼女を取り巻くあたたかな家庭の様子がいきいきとあふれており、その子供らしい視線は読む者の心に深く染み入ります。七歳の女の子の内面にはこれだけ豊饒な世界が広がっているのだということを、作者の筆はあくまでやさしく、さり気ない手つきで描き出していきます。
お話が現実と架空の入れ子構造になっている点、場面によって印刷された文章が二色に色分けされているという類似点から、よくミヒャエル・エンデの『果てしない物語』とくらべられることが多いですが、こちらの作品の方がずっとほのぼのしているのは、おそらくノンちゃんが体験するファンタジーがあくまで日本の風土に寄りそったものであるせいでしょう。じっさい、神様らしきおじいさんは優しくノンちゃんの話を聞いてあげるだけですし、とくに波乱に満ちた展開が続くということもありません。
しかし物語の終盤、ノンちゃんはりっぱに成長してお母さんのもとに帰ってきます。この年齢の女の子にとってはたとえ半日でも母元を離れ、自分自身の言葉で誰かと会話を交わすという体験がじゅうぶん大冒険になりうるのだということを、この本は私たちに改めて気づかせてくれます。
お子さまと共にお母さまにもぜひ読んでいただいて、その素敵な読後感を親子いっしょに味わっていただきたい作品です。
『私は二歳』 松田 道雄 著
夏目漱石の『吾輩は猫である』は猫の視点から人間たちの生活をユーモラスに風刺した物語ですが、これは同じように二歳になったばかりの男の子の視点から子育てについてつづった物語と言っていいでしょう。
授乳のしかたや夜泣き、下痢や発熱など、親御さんならだれしも憶えがある問題に対する認識や対処例が物語を通じてくわしく描かれていますが、ここで面白いのは一人称が赤ちゃんの『私』であること。つまり赤ちゃんがより直接的に不平や不満、母親にしてもらいたいことを読み手に訴えかけているような形式を取っているため、たんに育児本というジャンルに留まらないさまざまな示唆と魅力に富んだ本となっています。
著者である松田道雄さんはすでに亡くなられていますが、小児科のお医者さまとして長く現場に携わった豊富な経験から当時この本をお書きになったらしく、この前作『私は赤ちゃん』とあわせて読むと、一人の赤ちゃんが生後から二歳になるまでの二年間が、その間に若き夫婦が子育てを通じて体験するさまざまな出来事と共に丹念に描かれ、まるで良質の文芸作品のような仕上がりとなっています。 (じっさい、一度映画化もされているそうです)
さすがに半世紀近く前の本だけあって、ところどころ当時の世相を感じさせるもの(日米安保問題など)がありますが、そのくせ内容に少しも古さを感じさせないのは、やはり著者の母子に対するあたたかな理解と視線がすみずみに行きわたっているせいだと思います。
同時に、子を持つ親が抱く不安や心配、期待、夢といったものは時をへても少しも変わらないことを実感し、教育者としてたいへん教唆を受けました。
お若いお母さまやお父さま、さらにはすでに子育てを終えられたご両親にも、ぜひお手にとって頂きたい一冊です。
ちなみに、イラストはあのいわさきちひろさんです。