育児の次にくるもの
子育てにはこれが正しいと言った正解はありません。子どもとは可能性の同義であり、日々すこやかに育まれる命である以上、今日の我が子は昨日の我が子とはすでに異なる存在です。
当然育児マニュアルなど役に立ちませんし、そもそも、いま目の前にいるわが子を離れての「子育て」など一瞬たりとも存在し得ないということは、毎日元気に跳ね回るお子さまを相手にしておられるお母さま方が誰よりも強く実感しておられることかと思います。
もっとも、めまぐるしかった乳児期をすぎ、お子さまが幼稚園や保育園に通われるような年齢になってくると、お母さまの心境もまたひとつの踊り場にさしかかるようです。
このままでいいのだろうか。
そろそろうちの子にも体系的な学習をさせる時期にきているのではないか……。
そうした思いを抱かれてのことでしょう。当教室にもたくさんのお若いお母さまが見えられます。
私どもはそうしたお母さま方と直接面談し、またお子さまの様子を直に見ながらご家庭の様子やこれからの教育方針などをうかがっていくわけですが、近年、そうしてみえられるお母さま方の中に、ひとつの傾向があるようにお見受けします。
それはお母さまの意識の中で、いわゆる「育児」から「教育」へと一息にジャンプしようとする想いが強いこと。
具体的に言うといわゆるペーパーや数量計算など、小学受験にむけた高度な思考や記憶のトレーニングを望まれる傾向があります。
もちろん文字や計算は大事ですし、数量比較・論理思考、さらにはカタカナや漢字などを早期に身につけておけば、将来の小学受験に役立つことはまちがいありません。
しかしその前にしなくてはならないこと、できなければならないことはたくさんあります。そしてそれは、小学受験やそれ以降の教育の現場においても、前者よりもはるかに大きなウェートを占めるのです。
それが実体験です。
お母さまのぬくもりの中から一歩踏みだし、世界に触れること。初めて体感するさまざまな事象にまみれ、実際に考えたり悩んだりすること。
前述の「育児の踊り場」へ出られたご両親がまずこころがけならなければならないのは、お子さまに対し、さまざまな生活体験を与えてあげるということなのです。
こうしたことを申し上げると、「それならさせています」「最近はおうちでも心がけるようになりました」とみなさんおっしゃいます。ですが、いささか直裁に申し上げるとその体験は質・量共に圧倒的に足りません。
ここで申し上げる生活体験とは、文字どおりの「生活の体験」のことを指します。もっとひらたく申し上げると、お子さまを膝の上で遊ばせているのはもう止めにしてお子さまはたくさんお手伝いをしてもらおう、家庭を支える生活戦士としてどしどし働いてもらおうということなのです。
不思議なもので、計算能力や言葉の習得で「うちの子にはまだ早い」とおっしゃる親御さんはほとんどいませんが、お使いや家事、用事たしといった生活領域に関わる体験に対しては「まだ早い」と思われる方がおられるようです。
その意識の根底にあるのは、やはり「子どもは養われるもの」「庇護し守られるべきもの」という認識があるからでしょう。 これは決してまちがったお考えではありません。
たしかによるべない幼児は守られるべき存在ですし、一定期間、お母さまに大切に庇護されるべき存在です。しかし、同時にその期間はお母さまがお子さまの内に生きる力を、おうちから外へ出、他者と関わりを結んでいく力を養い育てる時期でもあるのです。
まずお子さまの成長度合いをしっかりと見定め、そしてそれにふさわしい義務と責任をお子さんに少しずつ与えていくこと。
そして何より、お母さま自身がお子さまを家庭を構成する一員であると認識し、信頼すること。そうすればお子さんはきっとその信頼に応えてくれます。